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永楽了全の「紫交趾葉皿」(19世紀) [永楽]

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今回は永楽善五郎家十代・永楽了全(1770~1841)の「紫交趾葉皿」を紹介します。

前にも書きましたが、永楽(西村)家は室町時代からの土風炉師でした。
それが了全の代から、茶碗や水指、そして向付といった茶陶も手掛けるようになります。
了全は若くして両親を亡くし、天明の大火によって家屋敷を失ってしまったため
表千家九代・了々斎宗左が後ろ盾となり
樂吉左衛門家九代・了入のもとに通って陶芸技術を磨きました。

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この形の葉皿は十一代・保全以降も代々作られており
了々斎宗左の好みもの「了々斎好み」と伝えられています。
なのでここからは僕の推察ですが、永楽善五郎家が手がけた向付としては
この「紫交趾葉皿」が最初期のものではないかと考えています。

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「皿」という名前ですが、器を安定させるための3つの脚がついています。
これはおそらく、樂吉左衛門家の「蛤皿」や「葉皿」を模したものではないかと思います。
ただし了全は「交趾釉」という自ら研究した釉薬を用いて
樂家のものとは違う、オリジナルの形と質感の器に仕上げています。

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了全の時代の紫交趾は濃い紫の中にやや青みがかった光沢があり
それが独特の魅力になっています。
そして裏面には「了全」の陶印があります。

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実は永楽了全の陶印のついた向付はかなり珍しく
永楽家歴代の茶陶を所有する「三井記念美術館」の蔵品図録にも載っていないほど。
現存する数も非常に少ないのではないでしょうか。

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古染付の「草花文向付」(17世紀) [古染付、呉須赤絵]

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8ヶ月ぶりの更新となってしまったことをお詫びします。

今回は古染付の「草花文向付」を紹介します。

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古染付(こそめつけ)は、中国明朝末期の天啓年間(1621~1627)頃に
景徳鎮民窯で焼成された染付磁器のことをいいます。
明朝が衰微した乱世の焼物なので、釉薬が剥落していたり
高台に砂が付着していたりと、粗雑な造りではあるのですが
それを茶人たちが「侘びている」として、好んで茶事に使いました。

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器胎は厚く、呉須の色も渋く、絵付も自由奔放に描かれています。
器の形もスタンダードや皿や鉢から、動物や昆虫を象ったものなど多種多様で
その多くは、日本の茶人たちのオーダーメイドによって造られたと考えられています。
とはいえ、発注者についての文献資料は日本にも中国にも残っておらず
本当にそうだったのかについては謎のままです。

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この「草花文向付」については、器の形状、呉須の発色などから
おそらく天啓年間頃に焼成されたものと判断しています。
ただし、古染付は茶人に人気が高いため贋物も多く
清朝期以降に造られたものも古染付として流通していたりするので
日本の染付以上に見極めが難しい器と言えます。
そのへんについては、また改めて書きたいと思っています。

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古九谷青磁の皿(17世紀) [古九谷]

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日本における青磁は初期伊万里の時代(1610〜30)に始まり
それらは「初期青磁」と呼ばれています。
そして「古九谷青磁」とは“古九谷の時代に焼かれた青磁”という意味で
だいたい1650~70年代くらいに作られたもの。

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青磁の青緑色は、釉薬や粘土に含まれる酸化第二鉄が還元焼成によって
酸化第一鉄に変化することで発色します。
「古九谷青磁」の技術は「初期青磁」より格段に進化しているものの
まだまだ焼成の温度や条件が不安定で、発色のばらつきがあり
くすんだ色合いのものも多いのですが、それが独特の存在感を生んでいます。

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この「青磁牡丹文長皿」はやや緑がかった色合い。
釉薬がたっぷりかかって重く、折敷に乗せると映えます。

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口辺が輪花の形になっている「青磁輪花皿」は
上の長皿に比べれば、青磁らしい澄んだ発色ですが
やはり釉薬が厚く、重厚感があります。

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「青磁陽刻文葉形皿」は中間くらいの色合い。
陽刻で葉脈が描かれ、錆釉で口辺を縁どる“口紅”が施された上手の器で
350年以上前のものとは思えないモダンなデザインですが
作られた時期はこの3つの器の中で最も古いと考えられています。

古九谷青磁は青手や五彩手に比べれば地味な存在。
それでも食器としての汎用性は高く
料理を盛ると、食材の美しさを見事に引き出してくれます。

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尾形乾山の「染付阿蘭陀写草花文角向付」(18世紀初) [乾山]

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折敷の中で飯椀と汁椀の向こう側に置く器(膾皿)を
いつから「向付」と呼ぶようになったのか。
それについては、残念ながら定説はありませんが
元禄12年(1699)の表千家六代・覚々斎(原叟宗左)の茶会記に
「向付皿」とあるのが、最も古い記述とされています。

この元禄12年は、尾形乾山が京都鳴滝に窯を開き
本格的に作陶を始めた年でもあります。
これは向付の歴史を考える上で非常に重要なことだと考えます。

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尾形乾山(1663〜1743)は、この鳴滝窯で
茶碗、香合、香炉といった茶道具より
はるかに多くの数の食器(皿、鉢、向付)を手がけています。
それは、町人層が台頭し元禄文化が開花したこの時代に
向付のような高級食器のニーズが高まったことを表しています。
この「染付阿蘭陀写草花文角向付」も元禄時代に鳴滝窯で作られた
乾山の向付のひとつです。

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型紙摺りという手法を使い、見込みには五弁花の草花文が
内側の側面には西欧風の煙草葉文が
そして外側には菱十字文が呉須一色で描かれています。
このデザインと呉須の深い藍色は
オランダのデルフト窯の器を模したものとされ
それが「阿蘭陀写」と呼ばれる所以です。

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裏面にある「乾山」の銘もやはり型紙摺り。
まるで芋版のように字がつぶれてしまっていますが
それでもお洒落に見えてしまうのが、乾山の凄いところ。

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三重県の石水博物館に同手のものが所蔵されています。
量産タイプの器ですが、低温焼成の軟質陶器で壊れやすいため
食器として使えるほど状態の良いものは
それほど多くは残っていないのではないでしょうか。

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古九谷「色絵花鳥文四方皿」(17世紀) [古九谷]

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今回も古九谷様式の「色絵花鳥文四方皿」を紹介します。
同じ古九谷でも青手とは違い、白い余白を生かし
紫、黄、緑、紺青に加え、赤色も使って彩色している“五彩手”の器。
こちらも17世紀半ば(1650〜60年代)に作られたものです。

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四方皿ですが、角に刻みを入れた”入隅”の形になっており
口辺には錆釉で”口紅”が施され、その内側に紺青と黄で帯を描くという
凝ったつくりになっています。

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裏面の四角い高台の周囲も呉須で縁どられており
真ん中には古九谷の特徴のひとつ”二重角福が記されています。

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中心に向かい合う二羽の鳥が描かれていますが
後の鍋島や柿右衛門様式のような洗練されたデザインではなく
味わいのあるヘタウマな絵柄なのも古九谷らしいところ。

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サントリー美術館の所蔵品に
よく似た形の四方皿(色絵柳燕文四方皿)があります。
やはり入隅の形で、紺青と黄で帯が描かれ口紅が施されています。
大きさもほとんど同じで、おそらく同時代に作られたものと思います。

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青手古九谷に直径20cm以上の大皿が多いのに対し
五彩手には直径16cm以下の小皿や変形皿が非常に多く
これらは折敷に乗せて収まりのいいサイズであることから
向付として使うことを意図して作られたものではないかと考えています。
そのあたりについては、いずれ改めて書くつもりです。

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青手古九谷「竹雀文捻縁皿」(17世紀) [古九谷]

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今回は青手古九谷「竹雀文捻縁皿」を紹介します。
“青手古九谷”は古九谷様式の中で青色(実際は緑)を多く使った磁器のこと。
そして古九谷様式とは17世紀半ば(1640〜60年代)に作られた初期の色絵の総称。
つまり前回の楽一入の菊皿とほぼ同時代、約350年前の器です。

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古九谷様式の中でも、青手古九谷は際立った個性を持っています。
黒で輪郭線と背景の地模様を線描きし、そこに紫、黄、緑、紺青で彩色するのですが
絵の具の発色が渋く、赤色を用いないので、重厚な印象を与えます。
デザインや構図も大胆で、言い知れぬ迫力を感じます。
北大路魯山人も「全く古九谷は恐ろしく芸術的だ」と言っています。

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このように口縁部を錆釉で彩色し、捻った形にしたものは「捻縁皿」と呼ばれ
大名家への献上品など、上手の器の特徴とされています。
青手古九谷には大皿が多く、向付として使える小皿は比較的少ないのですが
大皿と同様に細部まで手抜きがなく、精緻に作られています。

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丸い形の地模様は、他の青手の皿でも使われているこの時代独特のデザイン。
おそらく花の形を表しているものと思いますが
それで背景を塗り埋めてしまうのが青手古九谷の面白いところ。

青手古九谷には解明されていないことが多く
なぜ緑色と黄色を多用するのか、なせ赤色を使わないのか
そもそもこの配色を誰が思いついたのか
そしてなぜわずか数十年でこの様式の器が作られなくなってしまったのか
すべてが350年後の今も謎のままです。

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箱には、加賀象嵌で知られる金沢の名工であり
『石川県美術館』(現在の『石川県立美術館』)の館長を務めた高橋介州(高橋勇)の
「竹に鳥 小皿 青手古九谷と認む」という識(箱書き)がついています。
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/exhibition/4779/

使うなら春ですが、どんな料理を盛っていいのか悩んでしまうくらい存在感の強い器です。

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楽一入の「赤楽菊皿」(17世紀) [樂]

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今回からプログのタイトルを「向付の世界」に戻して
改めて、向付を中心とした食の器について書くことにしました。
過去の記事についても、少しずつ書き直して行こうと思っています。

そんなわけで、リニューアル第一回は
楽一入の「赤楽菊皿」を紹介いたします。

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楽一入(1640~1696)は四代樂吉左衛門。
わずか16歳(数え17歳)で家督を継ぎ、作陶を始めています。
なのでおそらくこの菊皿は17世紀半ば、350年くらい前に作られたもの。
樂の器は壊れやすいので、よく無事に残っていたと思います。

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菊皿は樂吉左衛門家の食器(皿、鉢、向付)の中では
二代常慶(1576~1635)の時から作られていた最も古いデザイン。
そしてこの一入の16弁の菊花の形が
後の樂の菊皿のスタンダードになったと考えられています。

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碁笥底のように浅く削った底面の中央に、一入の楽印があります。
茶碗と同じ印を用いているというところからも
こうした食器がひとつひとつ丹念に作られていたということがわかります。
350年を経ても色褪せない、見事な器です。

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再興九谷の「菊花文菊花形向付」(19世紀) [再興九谷]

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今回は再興九谷の「菊花文菊花形向付」を紹介します。
おそらく古九谷様式の変形皿に倣って作られたものだと思いますが
三輪の菊花をあしらった個性的なデザインの向付です。

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文化4年(1807)に青木木米を金沢に招聘して始まった再興九谷は
青手古九谷の再現に取り組んだ「吉田屋窯」
細密描写の赤絵を得意とする「宮本窯」などを経て
技術が進化し、様々な色彩の絵の具を用いるようになります。

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赤を使わず紫、緑、紺青、黄色を用いる青手古九谷の配色を基調としながら
黄緑や水色も加えることでよりカラフルになっています。
こうした新しい色を使うようになったのは、再興九谷でも後期のこと。

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裏面には「角福」の銘があります。
明治に入ると輸出用の磁器が増え「九谷」の銘が一般的になるので
おそらく幕末の頃に作られたものと思います。
派手に見えて、盛るとしっかり料理が映える器です。

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春日山窯の「色絵椿文小皿」(19世紀) [再興九谷]

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10ヶ月ぶりの更新です。長らくお待たせしてすみませんでした。
今回は九谷・春日山窯の「色絵椿文小皿」を紹介します。
(以前に紹介した「椿文皿」よりひと回り小さいサイズの皿です)

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春日山窯は、九谷古窯が閉ざされてから100余り経った文化4年(1807)に
京都の名工・青木木米が、金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)で
瓦を焼くための窯を改良して製陶を始めたとされる窯。

当時、加賀藩民は年に数十万枚もの陶磁器(日用雑器)を肥前や京都から買っており
これが藩の財政を圧迫する大きな要因となっていたため
金沢で製陶をするということが藩にとって喫緊の課題でした。
そこで、高い技術を持つ青木木米を京都から招聘したと考えられています。

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青木木米はその期待に応えて、呉須赤絵写しを中心に
交趾写しや染付などさまざまな技法で、鉢・皿・向付・徳利などを焼きました。
この「色絵椿文小皿」はその代表作のひとつ。
純白に近い精製された素地に、紫、黄、緑、紺青の四色で椿の花と葉が描かれています。
赤色を使わないのは青手九谷の伝統に倣ったもの。
垢抜けたデザインは、17世紀半ばの松ケ谷手の椿文皿を参考にしたものと思います。

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裏面には赤い文字で「金城製」と記されています。
これはおそらく「金沢城下で焼かれた」という意味でしょう。

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「石川県立美術館」に同手の皿が所蔵されており
やはり「金城製」のサインがあります。

青木木米がわずか2年弱の滞在で金沢を去ったことで
春日山窯は衰え、文政の初め(1820年頃)に廃窯となってしまいます。
なので残された作品も少なく、九谷焼にあって地味な存在ではあるのですが
「吉田屋窯」「宮本窯」「松山窯」へと連なる再興九谷の嚆矢として
もっと高く評価されるべきだと思っています。

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十一月の器 [その他]

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十一月の器は平澤九朗の「織部角鉢」。
料理は「鯛の頭付焼」。

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平澤九朗(1772〜1840)は江戸後期の尾張藩士にして数寄者。
有楽流の茶を嗜み、今昔庵という庵号の茶室を造り
余暇に、茶碗、茶入、花入、向付、鉢などの茶道具を焼きました。
つまり、プロの陶工ではないのですが、技工のレベルは高く
志野、織部、黑織部、黄瀬戸、唐津の茶陶の写しを数多く手がけています。

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この「織部角鉢」には“吊るし柿文”が描かれており、
おそらく実際にあった桃山時代の織部鉢の写しだと思われます。
この文様が本当に吊るし柿を表しているのかというと
実際のところはよくわかっていないのですが
古田織部の生まれ故郷が柿の生産地であることから
そう考えられているようです。

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共箱には「織戸角鉢」と記されています。
同時代の名工・加藤春岱の手を借りていたという説はあるものの
武士がここまでの器を焼くというのは驚異的なこと。
料理を盛った時の美しさは、本歌に迫るものがあります。

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